『ゆとり教育と学力を考える」

第2回 「ある成長過程における具体的事例(1)」

by 学習塾「学舎」教師 吉田 直弘

【著者プロフィール】 吉田 直弘
  早稲田大学大学院理工学研究科修了。三菱化学開発研究所勤務。退職して東京都世田谷区に学習塾「学舎」を設立。小学生から大学受験生まで理数系教科を指導。

 
 個別指導の理数系担当の塾教師をしているので、生徒それぞれへの対応は全て異なりますが、最近こんな事例が増えてきました。

 「先生わかりません。」
 「どれどれ、どの問題がわからないの?」
 「これです。」
 「なるほど、それでこの問題はどういう問題なの?何を求める問題なのか、まず先生に教えてよ。」
 「えー。チョット待って。今読むから・・・。」
  たいてい文章問題で、2行以上のものです。
 「文章問題」=「応用問題」=「わからない」の図式が直感的に働いているようです。

  そんなとき必ず私は「解けなくてもいいから、どういう問題か、僕にきかせてよ。」と始めます。そうすると私と会話をしているうちに解けてしまう問題がほとんどで、実は問題をちゃんと読んでいなかったということにいきつきます。では、なぜちゃんと読まなかったのか。「僕はできない」という先入観ではないでしょうか。そしてその先入観は我々おとながつくっているのかもしれません。成績表やテスト結果の片隅に「文章問題が苦手ですね」と書かれるだけで、こどもたちは自分を暗示にかけてしまうようです。もちろんその言葉を「よし、もっともっと練習してがんばろう」と前向きにとらえることができるこどもは全く問題はありませんが・・・。

  最近、小学生でありながら、「僕は○○ができません」と見事に分析する子が増えてきたのも情報化社会のおかげでしょうか。「それだけ問題点を分析できているのだから、それを解決するための努力をするのだよ。よし、なんとかわかってやろうという姿勢が重要なのだよ。」ということを教える責任がこどものスタッフにあると思うのです。

  学習面だけの問題ではありません。あらゆる問題について、ひとりひとりのこどもに対して、そのような対応を学校だけに求めるのは酷です。
  家庭及び塾、またはその他のスタッフたちが、その子のスピードでゆっくりと一緒に歩いてあげること、そしてひとりで歩けるようにしてあげることが重要なのだと思うのです。



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