『ゆとり教育と学力を考える」

第3回 「ある成長過程における具体的事例(2)」

by 学習塾「学舎」教師 吉田 直弘

【著者プロフィール】 吉田 直弘
  早稲田大学大学院理工学研究科修了。三菱化学開発研究所勤務。退職して東京都世田谷区に学習塾「学舎」を設立。小学生から大学受験生まで理数系教科を指導。

  数学の文章問題を解くときに、実は問題文をちゃんと「読んでいなかった」という例をお話しましたが、実はちゃんと「読めていない」という例も増えてきました。
  つまり、文章を理解することができなくなってきているということです。
  「1800円の3割はいくらでしょう。」は解けるのに、「定価の3割を安くしてくれる店があります。定価1800円の品物は、いくら安くなるでしょう。」が解けない。
  もっと長い文章問題になると、その理解力の低下は顕著です。もちろん、おとなが同じ意味だということを読み砕いてあげると当然解けます。

  しかし、いろいろな文章が理解できなくなっているのは事実です。国際競争のために英語を勉強すれば、日本語の理解ができるのでしょうか。それとも、日本語は消えていくのでしょうか。丁寧に考えることが、面倒くさいと思っているふしもあります。

  たとえば、模範解答を持っているのに、ただの計算問題で「先生、俺の解いた答えあってる?」ときいてきます。「模範解答見たの?」「めんどくせーなあ」同僚の英語の教師から聞いた話では、英語の問題集の答えあわせを自分でやらせると、単語のスペルを間違えているのに平気で丸をする生徒が増えているそうです。
  ということは記号の照合でさえ危うくなっている可能性があります。もちろん注意してやればできるのでしょうから、やる気の問題だと片付けてしまうこともできます。しかし、基本的な「読み・書き・計算」を軽視して、問題の解法やテクニック、点数のとり方ということにこどもたちの興味が偏っているのではないかと危惧します。もっと基本的な能力を重要視して、自ら学ぶ姿勢を助けてあげることを大切にしたいと考えています。



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