25歳 会社員 |
教育コラム、とても興味深く読ませていただきました。学生の頃家庭教師をしていたのですが、「先生この問題わからない」といわれたらすぐに問題のヒントを与えてしまっていました。もしかしたら、コラムに書いてある生徒のように問題を見ただけで難しそうと判断してすぐ聞いただけだったかもしれないのに。将来自分に子どもができたときにはそういうことのないようにしていきたいと思いました。 |
38歳 公務員 | |
学習塾「学舎」教師の吉田直弘氏の第2回コラム 「ある成長過程における具体的事例(1)」に同感です。 このような指導が公立学校で行われないことこそ,最大の教育問題だと思います。 |
37歳 主婦 | |
メールマガジンの「応用問題」の事例、 そのまま我が子にあてはまり、苦笑しながら読んでいました。 「自分はこれが苦手」と決めてしまうことの、なんと早いこと。 「まだ若いんだから、もっと自分の可能性を信じて!」と母は思ってしまいますが…。 自分の時もそうだったのかな?(^_^;) また、学校では、こんなに丁寧な対応してくれないだろうな…とも感じています。家庭でどこまで「一人歩き」の手助けができるか?考えちゃいますね〜。 |
49歳 講師 | |
毎回楽しみに拝見させてもらっています。 今回の「ゆとり教育を考える」のコラムを読みながら、本当はそうなのに、皆に心のゆとりがないのかな?とも思っています。誰かに責任転嫁をする事は簡単ですが、子ども達が一人一人がしっかり歩んでいけるように、自分から考えられるように導いて行ける心のゆとりが必要ですね。 |
41歳 会社員 | |
「ある成長過程における具体的事例」について考えさせられます。 うちの子供たちもたまに問題の意味がわからないというときがあります。みてやると問題の文章が長い場合が多いです。キーになる言葉を一つ一つ説明させるとわかるようになるようです。やはり読むのがめんどうなようです。 |
28歳 ? | |
私もコラムを読んで、学生時代の塾のアルバイトを思い出しました。 中学3年生の受験生たちを数名、個別指導していました。国語(俳句)で、教科書をみながら、問題を解いていたら「この句の季語は何ですか?」という問いに対し、教科書に「この句の季語は○○である」と書かれているにもかかわらず「わからない」と答える生徒。 「教科書のこのページを読んでごらん」と指示しても季語を見つけることはできませんでした。季語を見つけ出す以前に、教科書を読めないようでした。同じく、その生徒は中学3年で長方形の面積も求めることができませんでした。当然、やる気もなく全てがつまらなそうにしていたのを覚えています。 基本的な力をひとりひとりにつけてあげるにはどうしたらよいのでしょう。 |