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【連載】養護教諭制度70周年記念 学校保健功労者に聞く

第2回 心と体を支える学校の柱
神奈川・横浜市立上寺尾小学校校長
羽根田都志子さん

養護教諭の経験は管理職に生きる

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 第2回は、養護教諭から管理職の道を歩んでいる、神奈川県横浜市立上寺尾小学校校長の羽根田都志子さん。

  「副校長になった時とても楽しく仕事ができました」。養護教諭として保健室経営を行うなかで、例えば「校内設備のここを直したい」と思っていてもなかなか改善できなかったことが、管理職となったことで改善できたり、PTAを動かすことができたりと以前より周囲との関係がスムーズになった。そこが管理職となってやりがいを見出せた部分だという。

 高校卒業後、高齢化社会を見据えて「保健師」を目指したが、保健師の養成と同時に養護教諭の養成も学んでいた時、気持ちが変化した。小学校の教育実習で出会った養護教諭が子どもたちへ向ける日々の大らかな温かさに憧れ、「小学校の養護教諭」になりたいと方向転換した。

  昭和50年、養護教諭となり県内の他町の中学校へ、結婚後は横浜市の中学校で勤務。12年間に渡る中学校勤務を経て、ようやく念願の小学校へ。「中学では性教育と喫煙防止教育に力を注いできましたが、その気持ちは変わりませんでした」。むしろ、「これは小学校から教えなければならないこと」とその必要性を感じ、ライフワークとして取り組んでいた。

  平成15年、市の教育委員会への移動辞令が届いた。突然のことで、何をしたらいいのかわからない毎日。1か月も経たないうちに原因不明の発熱が続き入院。病院で過ごすゴールデンウィーク中に気持ちを整理し、「人の役に立てていない自分が嫌だと思っていたのですが、そんな自分を許せるようになりました」と復活。
コツコツと職務に当たるうちに、横浜市で性教育へ対するバッシング問題が起こった。その対応に追われるうちに時が過ぎた。

  そして平成17年、横浜市には養護教諭や事務職員、民間からの管理職登用の道が出来た。「せっかく養護教諭にも道が拓いたのだから」と、副校長を目指した。

  その後は冒頭の通り。「教育委員会での2年間がなければ、養護教諭以外の教職員の気持ちをわからなかったかもしれません」。すべては今の糧だったと考え、仕事に悩む同僚には、入院した時の自分の経験を話している。「自己有用感を持って職務にあたってほしいのです」。教職員の心身の健康こそが子どもたちの健康にもつながるのだろう。

  養護教諭と管理職、2つの目を持ってきた羽根田さん。「養護教諭は初任時から全校を見て、コーディネーターとしての役割を担っています。その経験は管理職として絶対に生きるはず。諸先輩方が実績を積んできてくれたおかげで、養護教諭の力が周囲に認められています。ぜひ新しいポジションに進んでください」。そのためにも、他教科の研究会などに積極的に参加して、心の準備をしてほしいと願う。自身も不得意分野は必死で勉強し、同僚や先輩にサポートしてもらった。「職業を楽しまないと」。挫折を経験したからこそ説得力のあるこの言葉を、全国の養護教諭に贈りたい。

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【2011年11月21日号】

教育家庭新聞