“食” の持つパワーを信じて 学校給食が果たす役割―全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会

第53回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会から【東京大会】

 8月7日、8日、都内で「第53回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会」が開催され、平野博文文部科学大臣も開会式に参加し成功裡に終わったことは先月号で報じた。本号では前回掲載しきれなかった、東京都と岩手県・宮城県・福島県の栄養教諭らの発表を紹介する。学校給食を教材にした食育活動はもちろん、東日本大震災では栄養の専門家として栄養教諭・学校栄養職員が、避難者の食事面をサポートする一面もあった。いざという時の栄養教諭・学校栄養職員の役割とは。

校長のリーダーシップが必要

食育

東京都の栄養教諭らによる模擬授業

  東京都からは、東京都武蔵村山市教育委員会教育長の持田浩志氏、同市立第七小学校校長の青木秀雄氏、同市立第四中学校栄養教諭の塩塚宏治氏が、「東京における食育の進め方〜小中学校9年間を通した食育の取組〜」について紹介。

  七小と四中を拠点にし、食育検討委員会を設け、知識から知恵へと変化する9年間の食育活動を目指している。そのためにも、教員への講義を行うことで共通理解を図るなど工夫を凝らす。

  また、青木氏は校長がリーダーシップを発揮し、食育のグランドデザインを描くことが重要と考える。そのため、現任校に着任して間もなく、生徒の様子を見て養護教諭に生活習慣の調査をお願いし、学校給食の残食についても一覧を取り寄せ改革していった。

  食を大切にする姿勢の定着、9年間の食育の見通しができたなど成果もあがっているが、今後はさらなる小中の連携、学校給食の意義を家庭地域へ啓発、授業研究の充実などが同市の課題だ。

  また、東京都から栄養教諭による模擬授業を紹介。大都市に残る地場産物を使った食育授業に、大きな拍手が送られた。

  続いて、岩手県山田町立大浦小学校栄養教諭の刈屋保子氏、宮城県気仙沼市立新月中学校栄養教諭の佐久間鮎美氏、福島県南相馬市教育委員会学校教育課主任栄養士の鈴木美智代氏が、「東日本大震災時における栄養教諭・学校栄養の果たした役割」について発表した。コーディネーターは、文部科学省 学校給食調査官の江口陽子氏。

支援物資給食を実施 「ありがたい」の声

食育

被災地の栄養教諭から報告

  震災後すぐに山田町へ異動となった刈屋氏。4月20日に学校が再開されたが、町が5月9日から始めると決めた仕出し弁当給食までの約20日間が空白に。米はあったので、届き続ける支援物資を使わせてもらおうと学校長の英断で、「支援物資給食」を開始した。

  その後仕出し弁当給食が始まったが野菜や海藻、いも類が少なく、支援物資を活用してもう1品加えた。児童には支援物資の経緯を話し、児童からは「ありがたい」という言葉が自然に出るようになったそうだ。

  「栄養教諭としては、子どもたちの食料を手に入れることが大事です。隣の避難所に物資をもらいに行き、御礼に汁物をおすそわけするということもありました。トラウマを抱えている子もいます。"食"の持つパワーを信じて、職務に励んでいきたいです」と語った。

  また、炊き出し時にも活躍した佐久間氏は、「炊飯作業担当調理員の人数不足、おにぎりを握る人の人員不足」をあげ、地区の住民から協力を得られたことなどを紹介。

  鈴木氏は栄養教諭にとって大切なのは「記録を取ること」と言う。また、炊き出し給食初日に、「おにぎりだけでもみんなで食べられるのでおいしいよ」と子どもたちから声があがり、涙が止まらなかったという。

  震災により食の大切さを改めて感じた児童生徒の思いを栄養教諭・学校栄養職員が受け止め、今後の食育活動へ結び付けていくことが、復興への一歩にもなるだろう。

【2012年9月17日号】

 

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