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「考える」原点は幼い頃の「戦災体験」
無洗米の開発で日本の健康と環境に貢献

鞄圏m精米機製作所代表取締役社長 雜賀慶二

エコ包装された“金芽米”を発売

 小泉武夫 さん

 「無洗米」と言えば読者にも多くの愛用者がいるだろう。この技術をいち早く開発したのは、和歌山県の鞄圏m精米機製作所。その技術を使ったグループ会社のトーヨーライス鰍ェ販売する「金芽米」は、金メダリストの荒川静香さんが食べていることでも有名になった。

 今年4月には、米袋の耳部分を短くした新包装技術「ECOシーリング機構」を用いた新パッケージが発売された。戦後、米の包装は紙袋を使っており、昭和40年代にポリエチレンが使われ始め、その後5s、2sなど包装は小型化されてきたが、外側の耳部分の幅は変わらない。「米を入れる際につかむため必要なのですが、資材のロスでもあり、二酸化炭素の発生量も多くなります」。県内で最初にISO14001を取得した同社の想いは、従来比10〜15%の資材削減となった。

 そもそも雑賀さんが環境に注目し始めたのは、高度経済成長期終盤の1970年代。「20年ぶりに船で淡路島に渡りましたが、昔は透き通っていた瀬戸内海が濁っていたことにショックを受けました。当時米の研ぎ汁とヌカの量について研究していましたので、海の汚染原因のなかに米の研ぎ汁も少なからずあるはずだと考えるようになり、研ぎ汁を出さない米を作ることができないかと思ったのです」。

 当初は、瞬間的に水で洗いヌカを取り除き、瞬間的に乾かすという方法で完成したかに見えたが、その際に出た研ぎ汁を完全に浄化する技術が存在しなかった。「当時、私は下水処理の原理をよく知りませんでした。法律的に問題はなかったのですが、それでは無洗米を開発した意味がない」と、さらに10年以上の月日を費やし「BG精米製法」を完成させた。(「BG」とは「Bran=ヌカ」「Grind=削る」。水を使用せず肌ヌカの粘着力を利用して、他の米の肌ヌカを取り除く方法)

 社長でありながらも「技術屋」として「考え」続ける雑賀さんの原点は、昭和20年7月に和歌山市を襲った空襲にさかのぼる。「生家はわりと裕福な家庭でしたが、戦災後は何もなくなり、さらにショックを受けた父が精神的に参ってしまったのです」。それからというものの「何とかして食べるものを得ようと必死でしたので、野や川の生き物を片っ端から獲って食べていましたね。今思えばその時、獲物を獲るために必死に考えたことが、知恵を磨くことに役立ったのでしょう」。

 このような幼少期を過ごした雑賀さんは、将来の日本への不安を強く感じている。「成人病が増加する一方に、米の消費量は反比例しています」。日本の医療費削減の解決へ向けて「学校と病院の給食は、良い食材を使う必要があると思います」と語る雑賀さん。以前、九州のある学校で試験的に金芽米を一定期間食べてもらったところ、子どもたちからは「本当においしい」という意見があがったが、価格で継続には至らなかった。「金芽米≠フよさは高い栄養価と消化のよさにあります。栄養士のみなさん、ぜひ消化について科学的に考えてください」。健康と環境に貢献する、雑賀さんと社の強い思いは今後も続くだろう。

 雜賀慶二(さいか けいじ)=1934年和歌山県和歌山市出身。1949年和歌山市城東中学校卒業後、家業の食糧加工機販売業に従事し、61年3月、東洋精米機製作所を立ち上げ、11月法人化。85年には鞄圏m精米機製作所代表取締役社長、2005年にトーヨーライス椛纒\取締役社長に就任。(財)雑賀技術研究所会長、和歌山市発明館運営委員なども務める。座右の銘は「行雲流水」。

【2009年5月16日号】