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挑戦させ子どもの「自信」を育む
「親バカ」が才能発見の秘訣です

辻井いつ子

ピアニスト辻井伸行さんの母

辻井いつ子

 6月7日、一人の日本人ピアニストが一躍その名を世界に轟かせた。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんのことだ。「全盲のピアニストではなく、ピアニストの僕が、たまたま目が見えなかっただけと彼はよく言います」と話すのは、伸行さんの母・いつ子さん。息子の活躍と時を同じくして、一人の親として、一人の女性としてその人生が注目されている。

 「障害をもって生まれた我が子に驚き、事実を受け入れるまでは、私だけではなく多くの方が悩まれたことでしょう」と話すいつ子さん。伸行さんの目が見えないと知った当時は、悩む気持ちを奮い立たせ「この子が幸せに暮らしていくためには、1つでも自信を持てることを身につけて欲しいと思い育ててきました」  自身は音楽が好きではあったものの、本格的に楽器を弾くわけではなく、自宅で、音楽を流すくらいだった。だがある日、いつ子さんの鼻歌に赤ん坊だった伸行さんが反応し、おもちゃのピアノで音を拾い始めた。それが全ての始まりだった。

 「親バカでいい」と話すいつ子さん。それこそが「子どもの才能を発見する」秘訣だという。だが、視覚に障害をもつ我が子にピアノを習わせることに、周囲はもちろん、自分自身も難しいことだとは思った。だが「本人が楽しければ私はそれをそばで応援したい」と、ピアノの先生に自宅に指導に来てもらった。

 辻井親子には、ピアノにまつわるこんなエピソードがある。伸行さんが5歳の頃、家族でサイパンへ旅行した時のこと。ショッピングセンターで、ピアノが自動演奏されていた。「弾きたい」と話す伸行さんの言葉に、弾かせてもらえるよう係員に交渉した。小さな伸行さんの演奏に、周囲は拍手喝采。「彼が人前で弾く喜びを知った最初の体験だったかもしれません」と笑う。

 いつ子さんはとにかく伸行さんのやりたい気持ちに「ノー」と言わない。「本人がしたいことについては、可能な限りはやらせてあげるのが信条です」。それが伸行さんの感性につながると考えてのことで、乗馬、スキー、水泳と伸行さんはなんでも挑戦している。「私自身は、母が40歳の時に生まれた子どもでしたので、危ないことからは遠ざけられるように育てられましたね。でも、興味のある習い事は何でもやらせてくれました」と両親の温かい愛を受けて育った。

 また、どんなに忙しくても伸行さんが食事をする際には、自分が食事をしなくてもお茶を飲みながら食卓を囲むことを意識してきた。「母がそうやって育ててくれたので、私も当然のようにそうやってきました。今の子育てはそうではないこともあるようですね」と昨今の子育て事情を懸念している。

 「彼の伴走者としてこれまで接してきました」と話すいつ子さんも、伸行さんが成人を迎え、子育ても一段落。「幸い、講演の依頼が増えてきています。私の話を聞いて、子育て中のみなさんが少しでも勇気づけられたらと思っています」と、フリーアナウンサーとしての経験を生かし、子育ての思いを伝えるために走り始めた。

 辻井いつ子(つじい いつこ)=1960年東京都出身。東京女学館短大卒業後、フリーのアナウンサーとして活躍。88年に生まれた長男・伸行さんが生後まもなく全盲とわかり、手探りで子育てを開始。08年11月、子育てに悩む人たちが意見交換するサイト「辻井いつ子の子育て広場」を開設。著書「今日の風、なに色?」「のぶカンタービレ」(共にアスコム刊)

【2009年8月15日号】