インタビュー
ハンセン病の根絶に尽力
日本財団理事長・笹川陽平氏


 「変わるようにでき、変わったと実感できる恵まれた仕事をしていますから」と語る笹川さんは、2001年、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧特別大使に就任。すでに30年以上に及ぶ活動で、世界中の患者を励まし、薬を無料配布。完治してもなお社会から拒絶され差別されている現状を訴え、戦ってきた。85年にはハンセン病制圧目標未達成の国が122あったが、今年になってミャンマーが制圧宣言をしたことから、現在ではインドなど6か国を残すだけとなった。

 「ハンセン病は単なる皮膚病で治る病気です。私が指のない手を握ると、罹患以来手を握られたのは初めてだと患者が泣くのです」と、未だに根強い偏見に心を痛めている。世界の患者数の約8割を占めるインドにも足繁く通い、2005年までにハンセン病制圧を達成すると宣言した。

 父親譲りの仕事人間で、「働いて、働いて、働き通す。死んだらゆっくり休ませてもらえますから」と笑うが、「趣味が無くて恥ずかしい。外国人にはバランスを欠いた人間のように見えますから。でも、できるだけ時間を作って家族と触れ合うようにしています」とも。
 社会の単位は家庭だから、
 「我が家では性をはじめあらゆることが親子の会話となります。それがいいか悪いかは別として、近頃の親子関係は水臭いように見受けられます。親と子の間にお互いに遠慮があるようですね」
 「父親の家庭での座が揺らいでいますし、子どもに対するしつけを母親任せにしています。父親が子どもに与える愛情やしつけは、母親からのものとは、また違うものです。私は大変厳しいしつけを受けてきました。兄に対しては今でもすべて敬語を使います。封建的と捉えられがちですが、母親に対するしつけも父親の役目だと思います」

 知育偏重は問題があると指摘する笹川氏は、「教育の弊害は百年祟る」という父からの言葉を常に胸にとどめてきた。現在ではNPOと一緒に、里山の保全活動も実施している。「子ども達は、友人や郊外活動を通して、年長・年少の関係や規律を学び、労働の楽しさを体感します。部屋に閉じこもらずに屋外に出て遊んで欲しいと願っています」

 2001年、ミャンマーの辺境地域に100校の小学校建設支援を決定し、今年中に10校を完成させる予定で2月には第1号校舎が完成した。1校の建設費は100万円。
 「お金があれば何でもできると言うのは間違いで、お金を使うことの難しさを実感しています。耳を澄まして、世の中の動きをじっと見て、先見性を発揮することが大切です」と語る笹川さんは64歳。「死亡適齢期に入った」と言うが、「全力」「アクション」がモットーで、「若い職員には自転車操業、止まったら倒れると言っている」そうだ。これからも仕事に励まされ、全力疾走を続けるだろう。


【2003年7月26日号】