教育家庭新聞・健康号
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医療の現場から子どもの心を考える
2.場面緘黙の事例
岡田謙医師(関東中央病院 精神神経科部長)
はじめに

 事例は、公立小学校4年生の10歳男子(以下Cl.と略)。学校で全くしゃべらないことを心配した母親(以下Moと略)が地元の区役所に問合せ、精神保健福祉センターへ相談、そこで筆者を紹介され、Moが精神科外来を受診した。Moからは、Cl.が4歳から人前でしゃべらなくなったこと、Cl.には内緒で来院したこと、精神科には偏見があること、Cl.はどうしてもしゃべってくれず、夫からはお前が悪いと責められていることなどが正直に語られた。
そこで筆者はMoに今日来院したことをまずCl.に伝え、次回一緒に来院することを勧めた。その後、MoがCl.を説得して来院、場面緘黙であることを説明し、通院を勧め、1回50分のCl.、Moの個別面談を43回行い、2年1ケ月で終了とした。
経過の概要

 当初は緊張し、身体もこわばっているCl.には、答えられそうな質問を語りかけ、MoへはCl.の理解に役立つような内容の対話を心がけた。すると、4回目には病院で「こんにちは」と挨拶ができるようになり、さらに家でも「ただいま」が言えるようになった。そこで、学校の担任にも通院の事実を伝え、病院と家での様子をきちんと連絡するようMoへ依頼した。5年生に進級すると、兄妹でテニスクラブに入会し、楽しく遊んでいる様子がMoから報告された。新学期にあった家庭訪問の後には、「お父さんよりもかっこいい」と担任を自慢するCl.にMoは驚いた。
その頃、Moの「どうしてしゃべれるようになったの?」の問いに、Cl.は「自分が勇気を持っていなくちゃいけないと思ったから」と答えた。学期ごとに担任と連絡を取り合い、3学期からは教育学部の大学院生に家庭教師を頼んだ。次第に日常生活を楽しそうにしゃべるようになり、反発や乱暴な言葉も遣えるようになっていった。Cl.の元気な姿とともに、Moからは「追い詰められた焦りから開放された気分。不安はあるが家族でがんばりたい」と語られ、治療終了とした。
自分を意識する

 子どもは自分自身のことよりも、自分の外の世界に関心を持ち、わからないことを知ろうと努力する。しかし、10歳を過ぎた頃から自分自身の内面を考え、意識するようになる。自分に関係する現象を観察し、考え、結論づけ、それを自分の言葉で表現し、相手に伝える。相手が理解できたと判断されれば、話を先に進めていく。相手の反応が期待に反した場合はなぜ相手に伝わらなかったのか、自分に原因があるのではないか、相手が悪いのか、どうすればよいのか、などを考え、わからないことは素直に聞くのが子どもである。これがコミュニケーションの基本であり、コミュニケーションには手応えのある相手が必要である。今回の事例の緘黙という症状は、主治医を中心とした対人関係の中で、コミュニケーション能力が高まることによって改善していったと考えられる。
7歳から12歳

 7歳から10歳までは、子どものやりたいことをやりたいようにできる生活を大人が保証する。そうすることにより、子どもは過度に自分を意識することなく、個性につながる自分らしさを主体的に作り上げていく。10歳を過ぎると自分を意識するようになり、自分と他人の区別をするようになる。自分と違うものが世の中には存在し、それにも意味があり、価値がある。お金では買えないもの、物によって置き換えることができないものが存在することに気づく。相手の心を意識し、知ろうとする共感能力も育っていく。このような子どもの心が健全に育っていくためには、対人関係を中心とした生活体験が重要で、その重要性を大人は忘れてはならない。

場面緘黙(ばめんかんもく)=何らかのトラウマなど心理的要因により、話す能力があるにもかかわらず、学校などで話すことができなくなる症状。


【2004年8月14日号】