偶然を計画して起こす Planned Happenstance 「人生は、計画したとおりには進まない。偶然が入り込み、予定は狂っていく。だから、むしろ偶然をうまく使って、その時々の問題を解決する力を育てるべきである」 この主張は、アメリカのJ・クルンボルツ教授が提唱した「プランド・ハプスタンス・セオリー」の考え方だ。 ところで、この主張、何かの文言と似ているような気がしないだろうか? そう。文科省が1999年の新指導要領を導入するときに用いた文言『生きる力』の中の「問題を解決し、自分で道を切り開いていく力」だ。 今回は、この「プランド・ハプスタンス・セオリー」を見ていくことにする。クルンボルツ教授の主張は、『生きる力』の文言から受ける印象よりも、もっと深い意味を持つという事が分かってもらえるだろう。 【生きる力とプランド・ハプスタンス・セオリー】 まずは、文科省の『生きる力』を再度確認してみよう。 保護者向けの新学習指導要領パンフレットの冒頭に記された言葉。この中に「問題を解決し、自分で道を切り開いていく力」という言葉がある。さらに「これらの力を重視するのは、いまや国際的な流れ」とも書いてある。 この「国際的な流れ」の動力源の一つが「プランド・ハプスタンス・セオリー」だ。生まれたのは、アメリカのキャリア・カウンセリングの世界での事。再度記すが、提唱者は、J・クルンボルツ教授。 クルンボルツ氏は「キャリアを考える=将来像を捉え、未来を計画し、実行する手はずを整える」という、当時主流(日本では現在も結構主流)の考え方に真っ向から反対した。その考え方は、http://job.mycom.co.jp/06/pc/visitor/2006conts/mcc/contents/cad/02.html にある程度まとめられている。
ここで少し余談。「キャリア」という言葉は、すこし勘違いされやすい。「キャリア/ノンキャリア」という言われ方や、「キャリア志向」という言葉が一般的に流布しているのが、勘違われ度数の高さを表している。 もともと、キャリアというのは、人生全般を指し示す言葉だ。「生き方」や「人間関係」「役割・役割意識」などを全てひっくるめて、キャリア。だから、大人には大人のキャリアがあるし、こどもにはこどものキャリアがある。例えば、家の中でペットの世話は次男の役目、というように。これも立派な「キャリア」だ。 大切なのは「今現在、人生経験として重ねているキャリアが、自分自身にとって好ましいものであるのかどうか」というところにある。決して「受験に失敗したからキャリアを積み上げるのに不利」とか「出世街道に乗れなかったからキャリア失敗」という類のものではないのだ。
閑話休題。なぜ、クルンボルツ教授は、このような考えをもつにいたったのか。それは、 のような背景がある。
要するに「人生は先まで考えて、計画的にピシピシ行動しなさい、ピシピシ」という考え方に対して、「悩んでいても良いよ。こんなに激動の社会では、先なんて見通せるものじゃないし、そこまで考えて思い悩む必要はないもの。悩んで立ちすくんでしまうよりは、気軽に動いてみた方が良いんだ」とクルンボルツ氏は言った訳だ。
しかし、こういった考えだけでは、物事はうまく先に進まない可能性がある。そこで、彼は、動くための指針として、「偶然」というキーワードを使った。先の見えない世界では、「偶然(自分の予想もつかない事)」が大量に発生する。この「偶然」をうまく使おう、と提唱したのだ。 偶然は、自分の予想もつかない事だけに、自分の考えが及ぶ範囲外にも影響を及ぼす。それは、自分の力量以上の何かをもたらしてくれる「宝の山」となる。しかし、その宝の山を採掘するには「偶然を必然に変えることのできる能力」が要るのだ、と。 クルンボルツ氏が提唱する「偶然を必然に変えることのできる能力」は、次のページに詳しい。 ここでは、その見出し部だけ載せておく。
クルンボルツ氏は、これらの能力を伸ばしながら、Planned Happenstanceな状態(つぎつぎ発生する偶然に対して、計画されたものであるかのように対応できる状態)を作り上げる事が人生の質を深めると主張したのだった。
偶然を活かせるかどうかは個人次第。その為には「悩んで立ちすくんでしまうよりは、気軽に動いて」、失敗してもその学びを活かしていけばいい。そういうラーニングプロセスを繰り返していく内に、きっと人生では大きなものを得ているだろうから。 これが「プランド・ハプスタンス・セオリー」の基本的な考え方だ。 この理論で想定される人間像とは、 おごらず、気負わず、悪い状況でもあきらめず、失敗しても再度出発できるだけの強さを持ち、人と協調しながらも譲れない一線はしっかり守り、一足飛びに遠くを見ようとは考えず、一歩一歩を、「踏みしめながら」というよりも「軽やかなステップを踏む」ようにして進んでいく。そして、その道すがらに出合った偶然は、着実に吸収して自分のものにしていく。 そういう人間像だ。かなり高次レベルで人間像を想定し、ある一つの生き方そのものを示している。 そこにあるのは、「問題を解決し、自分で道を切り開いていく力を持つ人間」といった、能力面だけから人間を捉えるようなものではないのはもちろんのこと、「ゆとり教育が良い」とか、「少年期には詰め込み教育が大切だ」とか、そういったレベルのものでないのも、言うまでもない(榊原) |