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こどもを叱る

 今回は、こどもを叱る方法・意味について記してあるサイトを集めてみた。


まず褒める、そして叱る、褒める。
  威厳を持って。

http://www.ikegamigakuin.co.jp/gakuincho/kyoikuron/kyoikuron2.html

札幌で学習塾を経営する塾長のエッセイ。地元紙に連載されたもの。「叱る時間はできるだけ短く、ほめる時間をできるだけ長く」というのが主張。

10の時間があれば、子どもを褒めることに9の時間を使うべきだ。そして、残る1の時間は子どもへの注意に時間を使うべきだ。注意する時間と叱る時間は、できるだけ少ないほうが良い。褒めて、褒めて、褒めて、たまにどうしても注意しなければいけないことを注意して、また褒めて、褒めて、褒めるべきなのだ。注意は褒めることと褒めることの間にサンドウィッチすべきなのだ。

ただ、こどもが大人を甘く見ているときは逆効果だとも言う。こどもが大人を甘く見るのは親が子どものわがままを全部許している場合である。もうひとつが、母親が父親の悪口を子どもの前で言っているケースである。

叱るべきときには、叱れ、と。また、その際には、決してしつこく叱らないことが大切だ、と。

教育の売り方
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/opinion/iitai2000-1/iitai151.htm

プロフィールは詳しく記していないが、おそらく教育に携わる職業についている(もしくは職業についていた)人のページ。叱る、という行為に対する定義づけが、ある意味特殊で

先ず、私は生徒を叱ることを散財であると考えています。一回生徒を叱る毎に、信頼関係の貯金を取り崩していくのです。その貯金が無くなってしまえば、後は借金の山です。

とする。ラポールを数量として捉える発想には、好き嫌いもあるかもしれないが、以下のような考え方ができる点で優れている

 例えば、授業中の私語を叱る。その生徒の私語が他の生徒の邪魔になるようで気になる場合、叱られた生徒のラポールは減りますが、その他の生徒のラポールはむしろ強くなります。

また、叱り方には世界観が必要だという指摘も面白い

 これも以前に書いたことですが、叱り方に世界観が無い教師も駄目です。世界観と言うと大袈裟ですが、世の中でしてはいけないことは何か、そしてしてはいけないことの軽重はどうなっているのか。その全体をしっかり意識した叱り方をしていない教師は駄目だというのです。

いろいろと刺激的な意見が書いてあるので、文章を冷静に咀嚼できる自信のある人向けか。


豊かなコミュニケーション力を育てる
  「上手な叱り方」

http://www.benesse.co.jp/s/ednews/040915.shtml

ベネッセ教育総研の矢野 徹氏のエッセイ。叱るタイミングについて書いてある。氏は「失敗する前に叱り、失敗した後に諭す」べきだとする。「失敗する前」とは、正確には「重大な失敗前に起こるはずの、小さな失敗をした時」のこと。このタイミングで叱る理由として、

ここで見過ごしてしまうと、大きな失敗をしたときに、あわてて厳しく叱りつけても、子どもはなかなか理解できません。小さな失敗を見逃してきたことで、子どもは何が大事なことなのかの判断を間違えて覚えてしまったからです。

という。

「子どものサインが見えますか」
http://www.f5.dion.ne.jp/~with/pta.htm

竹内成彦氏のサイトの講演記録。氏は叱るタイミングとほめるタイミングは、大人とこどもとでは、反対にするべきだとする。理由として、

叱る時は兄弟姉妹の前で見せしめとして叱る。褒める時は2人きりになって褒める。そうすれば、どの子も、他の兄弟が叱られているところは目にするが、褒められているところは見たことがない。しかし、自分だけは、親と2人きりになった時に褒めてもらっている。だから自分が愛されていると感じる。

とのこと。


Tuyano Blog. 「正しい叱り方」
http://homepage.mac.com/tuyano/iblog/C1653772498/E632696589/

まさしく子育て真っ最中の方の書いた「正しい叱り方」への考察。「正しい叱り方」という記事を読んで、いろいろと思うところを書いている。

「正解のないところ」に勝手に「これが正解」というものを持ち込み、人に不安を与えることで自分を売り込んでいる人間というのがけっこういるのは確かじゃないだろうか。その記事を読んで、つくづくそう思ったのでした。

としつつ、最後の結びとして

僕は、人間ができてない。だから、時には理不尽な怒り方もするだろう。それはよくないことはわかっている。だが世の中は、すべて「理屈にあった怒り方」をする人間だけで構成されているわけではない。家の中で純粋培養された子供が、果たしてそんな世の中で生きていけるものか。??親は、子供にとって「社会」なのである。そして、この社会は、理不尽で不合理な面を山ほど抱えたものなのだ。「正しいことだけしていればうまくいく」ような世の中ではない。そんな中へ出て行く子供を育てるのに、「正しい育て方」だけしてどうする。

??こういう考え方は、果たして「正しい」のかな? あの「正しい叱り方」を書いた偉い先生に訊いてみたい気がするな。

偉い先生じゃなくて、僕の意見を書いてみたりしつつ、この稿のまとめとしておきたい。

個人的には、このくらいのスタンスが素敵なんじゃないかと思います。《「正しい育て方」だけしてどうする》という言葉が言い訳になって、育て方の勉強をしなかったり、自分がこどもに対してとった態度の反省をしなかったり、って事にさえならなければ。

あと、「正解」は、確かにないと思います。でも「限りなく正解に近いもの」は、作ることができるんじゃないかとも考えるのですね。 誰が作るのかって? 「お子さんと一緒に、あなたが」です。
榊原