【九州教育旅行現地視察会】福岡・大分・佐賀・長崎
テーマあふれる教材の「宝庫」 自然・歴史・文化・平和 五感に響く体験学習

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 九州新幹線の全線開通以降、関西、中四国からのアクセスが格段に向上した九州。近畿地区公立中学校修学旅行委員会の調査によると、平成22年度九州への修学旅行は14・2%だったが、24年度は19・7%、25年度は19・5%と伸びている。九州観光推進機構では、昨年末に「九州教育旅行現地視察会」を実施し、関西方面を中心に、航空機による修学旅行を実施している横浜市の教育関係者らも参加した。2泊3日で、福岡・大分・佐賀・長崎の4県を視察し、自然・歴史・文化・平和・体験学習などの教育旅行素材について見学、体験を行った。




福岡 尊い命が失われた大刀洗の平和学習

【筑前町立大刀洗平和記念館】

福岡
大刀洗平和記念館は、本物の零戦が見られ、操縦席の中をのぞくこともできる
福岡
アジアと日本のつながりを様々な資料で学べる九州国立博物館

  福岡から九州自動車道を経由して約1時間、インターチェンジからも近いこの地には、1919年に日本陸軍大刀洗飛行場が作られた。飛行学校もあり、軍都として栄えていたが、1945年の3月27日と31日に受けた空襲で、多くの尊い命を失った。

  27日の空襲では、飛行場から約4キロメートル離れた「屯田の森」に避難した立石国民学校の児童のうち31名が、一発の爆弾で一瞬にして命を落とす悲劇が起こる。館内中央の「追憶の部屋」では、その様子を映像で上映し、ボランティアによる朗読も行われている。他とはひと味異なった平和学習ができるだろう。

【太宰府天満宮・九州国立博物館】

  言わずと知れた菅原道真公を祀る太宰府天満宮は、学問の神様として修学旅行生の合格祈願で人気。平成17年には隣接する広大な敷地に、九州国立博物館が開館した。両者はタイムスリップするかのようなトンネルでつながっている。

  博物館4階の文化交流展示では、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」をテーマに旧石器時代から江戸時代までを12の展示室で学習でき、ボランティアガイドの案内も可能。

【福岡観光会館はかた 明太子道場】

  JR博多駅から車で約20分、福岡空港からは約15分と好立地。食事やお土産の購入も可能だが、ここの魅力はオリジナル辛子明太子作りの体験だ。師範と呼ばれる職員が、なぜ辛子明太子が博多名物になったのかなどを説明しながら指導してくれる。

  唐辛子、昆布、ゆずなどのトッピング、仕込み液と一緒に入れるお酒を選び、ラベルを作成して完成。レシピは保存されており、味が気に入ったと言って後日、保護者が再度同じものを注文することもできる。修学旅行後も話に花が咲く。今回の参加者からの報告でも、家族と話が盛り上がったという声が多数聞かれた。


大分 天領・日田で知る 学ぶことの原点

大分

大分
江戸時代は、「天領」として栄えた日田の豆田町。古い街並みが残り、当時のにぎわいを想像できる(上)咸宜園跡と書斎を公開している(下)

 江戸時代に幕府の直轄地「天領」として九州の政治・経済の中心として栄えた日田市は、博多駅からは車で約1時間半、福岡空港からは約1時間10分の距離にある。

【咸宜園教育研究センター】

  儒学者で詩人の廣瀬淡窓が江戸時代後期、この地に私塾「咸宜園」を開いた。「咸宜(かんぎ)」とは、「咸く宜し(ことごとくよろし)」という意味で、封建制の当時においては画期的な「三奪法」により、入門時に学歴・年齢・身分を問わず、すべての門下生を平等に教育した。さらに「月旦評」を用いて成績を等級にし、客観的に評価した。

  門下生は5000名を超えると言われており、大村益次郎、長三洲、清浦奎吾、高野長英など日本を牽引してきた著名人が並ぶ。

  市内の小中学生は体験学習としてセンターを訪れ、畳の研修室で咸宜園や淡窓をテーマとした「咸宜園入門ぼっくす」を教材として使っているそうで、修学旅行生ももちろん利用可能だ(一部有料)。教材の中身は、落款を作ったり、漢詩パズルで漢詩にふれるなど全18種類ある。

  当時の建物はほぼ消失しているが、センターの外では国の史跡「咸宜園跡」、また書斎「遠思楼」の2つを公開。将来的には何らかの形で当時の様子を復元していきたいと市では考えている。時代を超えて学ぶこと、教えることの原点を知る格好の場所である。

【豆田街散策】

  平成16年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「豆田町」は、明治時代からの建物が多く残り、風情ある街並みが特長だ。天領であった豆田町では、大名を相手にした商いが行われていたことから、現在もその街並みを生かして商店が並んでいる。


佐賀 「ムラ」から「クニ」へ 弥生時代を学ぶ

佐賀
最も重要な北内郭では、まつりごとが行われた・規模の大きさに参加者も驚く
佐賀
北墳丘墓には、身分の高い方の甕棺(かめかん)が14基みつかったままで置かれている

  日田ご当地コンダクターと呼ばれるガイドがついて、散策をリードしてくれる。この日案内を務めたコンダクターの後藤博子さんは、こういったふれあいを通じて「子どもたちに少しでも豊かな気持ちや物をもって帰ってほしいと思います」と話す。

  また、日田は県の西側に位置するが、東側の別府には立命館アジア太平洋大学があり、世界各国の留学生が多い。彼らとの交流では、貧困や紛争など各国におけるグローバルな平和学習を行うことができる。

【吉野ヶ里歴史公園】

  言わずと知れた弥生時代の遺跡で、神埼市と吉野ヶ里町にまたがることからもそのスケールの大きさがわかる。2001年に歴史公園として一般に開放され、物見櫓や王の家、竪穴住居などを復元。その後08年には歴代の王が埋葬されている特別な墓と考えられている「北墳丘墓」も開園し、発掘された状態で甕棺を見ることができる。

  弥生時代の約700年もの間、小さな「ムラ」が大陸の文化を取り入れ、やがて「クニ」の中心集落へ発展する過程がわかるため、極めて学術的価値も高い。植物にもこだわっており、古代からある植物を植えるなど、再現性が高い。また、出土した人骨から、弥生時代後期には戦いが生まれたこともわかる。事前学習に力を入れることで、子どもたちも見方が変わるはずだ。

  また、園内ではボランティアガイドによる案内も行われており、火おこしや土笛、勾玉作りなど体験プログラムも充実している。

【佐賀の八賢人おもてなし隊】

  視察会1泊目に宿泊した佐賀市内にあるホテル龍登園では、魅力発掘プロデュース協会による佐賀の三賢人による物語が食事時間に演じられた。

 佐賀県は幕末・維新の日本に影響を与えた多くの賢人を輩出している。そこで、「幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊」として、現在は佐賀城本丸歴史館で毎週日曜日に1日5回、佐賀の歴史と誇りを後世に伝承させるべく物語を演じている。

  この日は、「正義の人」として知られる副島種臣、北海道開拓に尽力した島義勇、「民権」を唱えた江藤新平の三人が登場。わかりやすい物語に、皆がひきこまれた。17演目ほどあり、修学旅行生が宿泊するホテルでの公演も可能だ。

  佐賀県ではその他に、修学旅行で人気が高い有明海での干潟体験や、有田焼、伊万里焼から産業と伝統技術が学べるほか、玄界灘に面した唐津での民泊も開始しており、注目されている。


長崎 第1次産業を体感し第二の故郷を生む

【南島原市農業体験・民泊】

長崎
南島原市のイルカウォッチング。99%の確率でイルカに遭遇できる。民泊と合わせて、自然を実感できる。
長崎
知事ら要員がいた立山防空壕。原爆の被害を受けず、対応に追われた。

  平和学習に訪れる学校が多い長崎県では、近年は民泊を行う学校も増えている。日本で初めて世界ジオパークに認定された島原半島にある南島原市もその一つだ。

  温暖な気候と海と山を併せ持ち、第1次産業が盛ん。後継者不足に悩む地域がある中、3世代家庭も多く、民泊先の生業を体験することができる。2011年度より受け入れを開始し、原則として1日1校、約350名までの受け入れ体制をとり、握手に始まり握手に終わる、ハートフルな民泊を意識している。

  今回は、いちごを中心とした農家の栗原義久さんの自宅を訪問。布団がずらりと天日干しされており、子どもたちを大切に迎えてくれる様子が垣間見えた。子どもたちがふすまに書いた御礼のメッセージからは、民泊に満足し第二の故郷を持った喜びがあふれていた。

【南島原市イルカウォッチング】

  口之津港から沖に出て約30分すると、船が集まってきた。魚群探知機や各船で情報を共有し合うため、遭遇率は99%と言われている。大自然を体感しながらイルカが泳ぐ姿を目の当たりすると、大人でも歓声が上がる。特に海のない県の子どもたちが訪れるならば、その感激はひとしおだろう。

【長崎市コース別】

  2コースで視察し、歴史・文化学習コースでは、最初に出島を訪問。出島はキリスト教の布教を禁止するためにポルトガル人を収容した島だが、鎖国後オランダ商館が平戸から移転してきた。当時を思わせる街並みが復元され、16年には表門に橋が架かるなどさらに復元が進む予定だ。

  05年に開館した長崎歴史文化博物館は、教科書に掲載されている資料が多く、長崎の海外交流史を学ぶ絶好の場所。しかも「触れられる」展示物が多い。建物そのものは長崎奉行所立山役所を一部復元するなど、ワクワクする博物館を参加者も楽しんでいた。

  同館裏には先の大戦中に県の防空本部が置かれていた立山防空壕があり、見学できる。空襲警報が発令されると県知事ら要員が集まり対応に当たっていた場所で、地形が幸いして原爆投下時には被害を受けることなく、ここから被害状況を国へ送り、救護体制を整えた。原爆資料館等とは見方を変えた平和学習の素材となるだろう。

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【2014年2月17日号】

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