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子どもの心と体の健康

現代社会の不安が育児不安へ
社会学から見る児童虐待・前編

 昨年も児童虐待問題については多くの事件が報じられ、テレビでは特別番組が組まれるなど、一般の関心は相変わらず高い。メディアの利点は情報を簡単に手に入れられるところだが、社会学の分野で出産、育児などを研究する白井千晶さんは、偏った情報は人々の認識に誤りをもたらし、虐待につながる家庭の問題を見えにくくするのではないかと危機感を持つ。児童虐待に至る家族の問題とは何か、その社会的背景にはどのようなものがあるのか、社会学の見地から二回にわたり話を伺った。(レポート/中 由里)

◆偏った情報がもたらす認識の誤り

  各大学で出産、育児不安、少子化、児童虐待などについての講義をされていますが、今児童虐待はどのようにとらえられているのでしょうか

 大学生の関心は非常に高いと感じます。高齢化社会が問題にされてから、社会福祉自体に関心が高まっているともいえます。ただ、私が問題だと思うのは、児童虐待自体が非常に特別視されているということです。児童虐待とは育児不安や育児の閉塞性からつながるものであり、誰にでも起こり得ることです。ところが、メデイアの影響もあると思うのですが、多くの人が間違ったイメージを持っていて、児童虐待を行うのは特別な人と考えているようです。

  その間違っているイメージとはどのようなものでしょうか

 大学生たちに話をすると、学生は虐待をする大人のことを「彼ら」「あの人たち」と呼ぶんです。決して自分のことと受け止めていないのですね。事件が起きたときのさまざまなメディアの扱い方を見るとわかると思いますが、私生活を暴露することによって、いかに犯人が特殊な人間であるかを語ろうとしています。特殊な家庭であれば特殊な家庭であることが強調されるし、特殊でない場合は、高学歴であるとかお受験に熱心だったとか、別の方面で問題になっていることと結び付けられたりします。ごくごく普通の人がいかにグレイゾーンにあるかということは取り上げられません。

 実は、東京都福祉局の調査(※)では、家庭の特殊性や本人の特殊性、あるいは親が虐待を受けた経験があるということは、統計的に虐待とは無関係であると報告されています。

 ところが、講義で取り上げたある番組では、児童虐待は世代間継承だということを科学的に説明していました。虐待をされている時に脳内ホルモンが出てシナプスが発達し、少しの攻撃でも敏感に反応するようになってしまう。だから虐待をされた人は虐待をしてしまう、というように。その説明が正しいかどうかはともかく、こういう扱いをされては、虐待は虐待された人が行うもの、という強いイメージが定着してしまうと思います。虐待をされた人が自分の子に虐待しなくてすむ具体的な道を探す手助けにはなるかもしれませんが、実際には虐待されていないのにしてしまう人が大半で、社会学的に見て家族の問題、育児の閉塞性、共働きの問題などを抱えて深刻な事態に陥っている人のことがすっぽり抜け落ちてしまうんです。

 児童養護施設の職員の方などに聞いてみると、面会に来られるお母さんやお父さんは、多くがごく普通の印象を持つ方だといいます。とても暴力を振るうような人には見えないそうです。でも、子どもとはうまくやっていけないと言う。そのどこに問題があってどうすれば解決できるのか、ということが、世代間継承だと決めつけてしまっては、見えなくなってしまうと思います。

 ごく普通の家族に潜在している危機というのは何でしょうか

 社会学では「家族幻想」という問題があります。家族幻想に一番あえいでいるのは家族です。理想の家族を演じ切れず行き倒れてしまうのです。一つには育児がタコツボ化してきたことが問題だと思います。今、育児は社会的に誰もが共有することではなくなって、個人が非常に狭い範囲の中で凝り固まって行うことになってしまっています。

 専業主婦が一番日本で割合の多かった高度経済成長期、核家族が増え、夫は企業戦士で家庭を顧みなくなったという背景の中で、コインロッカーベイビーなどの児童虐待が騒がれ始めました。人工栄養や健康優良児をもてはやしたり、育児が変わった時代でもありました。でも、井戸端会議や子どもを預けたり預けられたり、女文化は意外と残っていたのです。おばあちゃん世代との知の継承がなくなってしまったので危うさはありましたが、助け合う育児はまだありました。

 それがバブル時代になると、お金で人を雇わないと子どもを見てもらえないような感覚になって、育児が辛くなってきたのです。産むまで赤ちゃんを抱いたことがない女性や産んだ自分が想像できないという女性が増えてきました。こうしたことがタコツボ化の一番の原因かと思います。
 育児をする上でバックがないというのは大変不安なことだと思います。何かあったときに子どもを預かってくれる人がいない、閉塞感に陥ったとき救ってくれる人がいない、などの育児上の問題のほかにも、夫がリストラされてしまったら家庭はどうなるのか、など、社会そのものの不確実性が高いことも不安材料になっています。子どもを産むのも不安、仕事と育児の両立も不安、もっとさかのぼれば結婚も不安。現代社会が内包しているさまざまな不安が育児を不安定なものにしているのかもしれないと思います。(次号に続く)


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※東京都福祉局平成13年発行「児童虐待の実態」(白書)「第3章 虐待を行った保護者等要因」より

○生育歴で決定的な要因は見当たらない。被虐待体験のある者は約1割。

虐待者の生育歴については、「特になし」と「不明」で全体の約7割を占め、生育歴として決定的な要因は見当たりません。明らかなものの中では「ひとり親家庭」が10・0%、「被虐待体験」が9・1%、「両親不和」が7・6%となっています。


【2007年1月20日号】