先生のための環境教育講座  

第55回 科学技術文明と循環型文明社会
                    
東京学芸大学名誉教授 佐島群巳


〇 歴史に目を開こう
 21世紀の鼓動が聞こえる。その鼓動が足元に響いて来るようだ。
 その響きは、ただならぬものを感じる。誰れかが、20世紀への問いをぶつけている。
「20世紀は、ほんとうに人類の生存、人間の尊厳にかなる世紀であったか」
「20世紀は、すべての生きとし生けるものの楽園となりえたか」
「20世紀は、人間が人間らしく生き、喜びあふれる世紀であったか」
 
 いま、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカ前ドイツ大統領の言葉の力に、すいこまれている。
「歴史に目を閉ざすな」
「過去に学ばない者は過去を繰り返えす」
 この言葉は、過去を振り返えり、過去のいたみを分かち合いながら未来への道を見つけること、信頼を求めること、過去への社会的責任を共有することを語っているように思えてならない。
 21世紀を迎えるにあたって、今、私達は環境にどうかかわり、どう感じ、環境問題に対してどう自ら考え、価値判断、意志決定するか、環境保全への実践的行動をするか、が歴史から問われているのである。

〇 認識の転機をはかろう
 NHKのテレビ報道を視聴していた。丁度地方選挙の真只中で、市民は政治になにを期待するかのアンケート結果を報じていた。市民の期待は、1位「景気浮揚」、2位「財政再建」、3位「福祉充実」、4位「環境・ゴミ問題」という具合であった。
 21世紀は、これまでのように人間の利便性、快適性を求め続けてきたように確実に地球環境の破局、人類の滅亡をまねくことになる。
・今、こそ、地球環境のいたみを
・「今、ここに、ある」足元の地域環境のいたみをよく認識しなければならない。

〇 「ツケ回し」を見直そう
 しかし、現実は、大量生産、大量流通、大量消費、大量廃棄という社会経済システムは少しも変わっていない。
 この結果もたらされた所産が地球的規模の環境問題(温暖化、酸性雨、熱帯林の減少、野生生物種の絶滅など)だ。この問題は、必ず、新しい科学技術によってその問題を克服できる、という楽観論があるだろう。科学技術の神話から目覚め、際限なき科学技術の競争にダウトをかけるべきだ。
 確かに科学技術は、衣・食・住、生活の合理化、電化による利便性・快適性、新幹線、航空機による時間距離の縮小、高層ビル建設、東京オリンピックの開催など、すべて科学技術の恩恵である。しかし、その裏側には計り知れないほどの「ツケ回し」があることもよく認識しなければならない。
 大気汚染、水質汚濁のように「空間的広がりのツケ回し」、熱帯林の絶滅や高濃度放射能廃棄物のように「次世代はおろか数百年までのツケ回し」、「生きとし生けるものへのツケ回し」があることをよく認識し、今、私達は、どのように環境にかかわっていったらよいか、考え、行動しなければならない。

〇 環境市民としての「生きる力」を培おう
 アルビン・トフラーは「第三の波」でいっているように、三つの革命を上げている。
 農業革命−工業革命−情報革命
 情報革命の後に来るものは、「環境革命」ではないか、と考えている。伊東俊太郎は七つの革命(人類−農業−都市−精神−科学−環境)の最後に環境革命の到来を述べている。
 21世紀は、まちがいなく環境革命として、「再生」「循環」「共生」のキーワードのもと、一人ひとりが環境市民として生きる力を培うことである。そのための教育が「環境教育」である。そこで何を学ぶのだろうか。
 1森が循環を繰り返しているように、みどりのある都市環境をつくりだすこと
 2里山資源を背景にした循環型の農業社会を回復すること
 3人工物にあふれる我々の生活スタイルを変え、抑制、忍耐、節約をし、限りなく廃棄物ゼロに近づけること
 4膨大な資源・エネルギー利用と廃棄物を排出する都市文明を工業と農業と住宅の有機的結びつきによる廃棄物ゼロにする循環型文明社会の構築を図ること
 4について既にある企業は、試案による技術開発を行っている。
 ゼロ・エミッション・システムについて提案された藤林宏幸氏は、21世紀に期待される「循環型文化社会構築の可能性」を科学技術の開発による実現を目指しているという。
 今、ここで、循環型文明社会構築にも、科学技術が大きな役割を担う現実にも目を向けなければならない。
 つまり、科学と文明が矛盾克服と調和的なあり方も問わなければならない。

(参考文献)
1 内藤正明 「地球時代の新しい環境観と社会像」エッソ石油株式会社 1992 P43−46
2 1前掲書 P73 内藤氏は「他人への責務」「次世代への責務」「他生物への責務」の三つを上げている。
3 伊東俊太郎 「比較文明と日本」中公叢書 1990
4 藤村宏幸 「循環型社会づくりにおける企業の取り組み」 1998(東京都・国連の共同主催「パネルディスカッションを提案」による)

(教育家庭新聞99年4月17日号)