「総合的な学習の時間」成立の歴史と背景

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学力から問題解決能力へ
〜いま、なぜ「総合的学習」か


 (1) 社会的要請と「生きる力」の育成
 21世紀に向けて、社会経済の変化、人口増加、少子高齢化の進行、地球的規模の環境汚染と破壊、人権・平和・民族をめぐる国際問題などは、人類の生存と人間の尊厳にかかわる問題として解決が迫られている。
 我が国の明治以降の近代化政策の教育は「西欧に追い付け追い越せ」を目指した知識蓄積型の教育であった。戦後教育は、民主的人格形成を目指したが、高度経済成長改革のもと「産業社会に役立つ知識と技術を習得する人材養成」に重きをおいた知識適用型の教育へと変わる。

 しかし、一九九一年の冷戦構造の崩壊、その後を追うかのように「高度経済成長」にダウトをかけ、泡のようにふくらんだ経済が崩壊した。
 21世紀は、先き行き不透明、不確実な社会として、人間の生き方の羅針盤を失いかけている。
 このようなときに登場したのが「総合的学習」である。総合的学習のテーマは、五つである。
 ・国際理解
 ・情報
 ・環境
 ・福祉
 ・健康
 これらのテーマは、従来の教科カリキュラムで扱いにくい「総合性」をおびている。
 しかも、総合的学習は、21世紀に生きる力として、社会の変化に立体的に生きる学力形成を目指している。その学力は、次の通りである。
 ・体験的創造的学力
 ・情報収集、表現、発信する学力
 ・社会的情意的能力(参加共生学力)
 ・バランスのとれた体力、気力(生態的学力)
 以上を総合化したものが問題解決能力である。

 (2) 特色ある学校
 総合的学習は、その地域、その学校、その学校の子どもと教師、地域の人たちによって創造的に構成し、実践される性格をもっている。
 従来の文部省の学習指導要領に準拠するカリキュラムに対して、新しい教育では子どもと教師と地域の人によって下から積み上げ創りだされるカリキュラムを構成することだ。
 特色ある学校は、総合的学習カリキュラムに端的に表われるものだ。特色ある学校像は、次の五つの性格をもっている。

 1開かれた学校(地域の人との交流)
 2学び方を学ぶ学校(矛盾を問い続ける力)
 3人間化される学校(子どもらしさの表出)
 4社会参加の学校(多様なボランティア活動)
 5自己実現できる学校(自分らしい生き方)


教育の遺産に学ぼう


 (1)大正デモクラシーの教育思潮
 日本の教育実践理論は、明治期の「輸入型教育」から大正末期から昭和初期にかけて日本的な子どもと地域、社会の問題に目をむけた「現実認識型教育」へと、創造的に転換した。
 例えば、次のような方法論がある。

 ・分団式動的教授法(明石女子師範附属・小学校・及川平治)
 ・合科学習(奈良女高師附属小学校・木下竹治)
 ・現代科(玉川学園・小原国芳)
 ・郷土教育(岡崎師範学校附属岡崎小学校・真野常雄)
 ・生活科(池袋・野村芳兵衛)
 ・地方教育(秋田・成田忠久)

 これらの実践は、大正期から昭和初期の経済恐慌の中で「現実社会を直視」し、「社会問題(農村の疲弊、貧困、土地の荒廃、平和、人権、小作問題、女性問題など)」について解決する力を育成しようとしたものである。
 これらの実践のすべては、諸外国の翻訳ではなく、切実な現実社会の子どもたちの悩みや願いを表現しながら、困難で危機的問題の解決の方法を体験的に学ぶものであった。しかもこれらは小学校の実践である。
 この地域に根ざし、人間と社会環境の矛盾を立体的に追求する方法原理は、戦後教育改革の大きな力として蘇ったのである。

(2) 戦後教育改革における「地域カリキュラム」
 一九七〇年代全米の教育改革は、一九五七年のソ連のスプートニック打上げ成功による「スプートニックショック」を受けて行われた。全米は・科学技術の遅れを取り戻そう・のスローガンで、科学教育の推進として「教育の現代化」運動が進められた。その教育現代化の中で、全米で開発された、数学、化学、物理、生物、地理などのカリキュラムは100を越えるものであった。
 この教育現代化の運動は、世界の教育界へ反映的に展開されていった。我が国は一九六〇年代の経済成長と相呼応するように「化学技術教育」「知識成長理論」がうち出された。このころ、経済界からの要望として文部省に「経済発展に必要とする人材要請」「科学技術教育振興」に対する要望書、具申書が出された。

 ところで、話を戦後教育へもどそう。
 戦中の教育思想を排除し、反省し、新しい平和的・文化的な国家・社会に貢献する人間育成を目指したのが戦後教育だ。
 教師たちは、文字通り、寝食を惜しまず新教育建設の研究に取組む。その研究の中心が「地域カリキュラム」の作成であった。
 地域に根ざした「カリキュラム」「その実践」の方法原理は、多分に大正期から昭和初期にかけて実践されたものが採用されたと考えられる。我が国の「地域カリキュラム」は、全米のそれを凌駕する程の勢いがあった。

 その代表的な「地域カリキュラム」を例示してみよう。
川口プラン(海後宗臣らと埼玉県川口市の教師、地域の人たちによる)
・本郷プラン(大田堯らと広島県本郷町の教師たちによる)
・久留米プラン(福岡学芸大学附属小学校)
・桜田プラン(東京港区桜田小学校教師主導からやがて文部省も参画、実践する)
・北条プラン(海後勝雄ら館山市北条小学校の教師たちの実践)
・福澤プラン(浜田陽太郎らと神奈川福澤の教師たちの実践)
・「しごと」の実践(重松鷹泰らと奈良女高師附属小学校の実践)


総合的学習のカリキュラム
構成に活かせる手法


 以上の実践は、共通して次のようなカリキュラム構成の手法をとった。
 1構成原理(生き生きした平和的・文化的社会の建設者の育成)
 2地域調査による課題検討と学習テーマ設定(学年の発達に応じた学習の系統性を図る)
 32のカリキュラムを授業において検証
 43の授業検証によるカリキュラムの再構成

 以上、カリキュラムの構成の方法は、新しい総合的学習カリキュラム構成の方法原理として活かされてしかるべきである。
 ただし今日の社会の現状は、大正末から昭和初期や戦後社会の混迷とは、共通部分もあるが、大きく違う点がある。
 21世紀に向かう社会は、不透明であり、人間の生存危機が目前にあり、不安の社会、変化の激しい社会をどう生きるか、その生きる力を育てることが教育の緊急課題である。総合的学習は、そうした課題に挑戦する大事なテーマといわなければならない。
 教師一人ひとりの研究への自覚的行動と指導力量が今、問われているからである。


 参考文献
(1) 現代教育学12「社会科学と教育I」
 岩波書店
(2) 梅根悟、岡津守彦編 「社会科教育のあゆみ」
 小学館