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私の体験談「子どもの心を考える」
不登校を越えて 前編
〜心が骨折していたあの頃…〜
寄稿−大学生・kさん

 私は、中学校2年生の始め頃から、学校に行くことができなくなりました。中学1年までは、非常に自由な校風の学校に通っていたのですが、学年が上がると同時に父親の転勤があり、それに伴って中高一貫の進学校へと転校しました。そこでの急激な環境の変化が直接的なきっかけだったと思います。女子校に通うことが初めての経験でしたし、学力別にクラスが振り分けられることも初めてでした。服装や頭髪のチェックなど校則の徹底も厳しいものがありました。今なら、こうしたシステムの学校は特に珍しくなく、典型的な私立の中高一貫校だということが理解できるのですが、それまでとのギャップが大きすぎて、当時の私は過度に萎縮してしまったのだと思います。

 自分なりに、適応しようと精一杯でした。早く周りに馴染めるように、部活や生徒会に入ったり、誰からも嫌われないように、「明るい子」「面白い子」として振舞うように心掛けました。そのおかげで、新しい友達も出来たのですが、常に自分の言動が評価されているような気がして、前の学校の友達と接していたときのようなリラックスした気持ちになることができませんでした。ちょうどその時期、家族関係が荒れていて、家に帰ってもほっとできる時がなかったこともあって、その頃の生活は精神的にかなり辛いものでした。学校の問題と家族の問題、どちらか一方だけならなんとか耐えられたのでしょうが、たまたま二つのことが同時に起こってしまって、我慢できる限界を超えてしまったのだと思います。

 そんな日々が続くうちに、授業に身が入らなくなり、ノートもとらずにぼうっとしていることが多くなりました。ぼうっとしていると、前の学校での楽しい思い出がよみがえってきて、よけいに悲しくなりました。どうして私はここにいなければいけないのだろうか、卒業するまでの5年間、ずっとこんな環境の中でやっていかなければならないのだろうか、そんな考えが頭の中をぐるぐる回って、涙がこぼれてきました。休み時間は休み時間で、周りの子が楽しそうにしゃべっている中に溶け込んでいく気にもなれず、一人で図書室に行って過ごすようになりました。だけども、そんな私の行動を周りが、「暗い」とか「友達がいない」とか陰口を言われやしないかと不安に思っていました。仲良くなれそうだと感じていた女の子が私の悪口を言っているのを偶然聞いてしまってからは、余計に学校にいるのが辛くなり、「お腹が痛い」「頭が痛い」と訴えては学校を欠席するようになりました。そして、五月の下旬、ちょうど中間テストの初日を境に、完全に登校できない状態になりました。

 それから中学を卒業するまで、ほとんど一日も学校には行かず、家で過ごしていました。その頃に感じていたのは、学校に行かなければという焦りや、自分は怠けているのではないかという罪悪感、劣等感、そういったものでした。

 「私がもっとしっかりしていて、友達ともうまくやっていくことができて、勉強もちゃんとする習慣があれば、学校に通えたはずなのに。私はその試練から逃げてしまったんだ。私はなんて弱い人間なんだろう。考えてみれば、私は小さい頃からずっといい加減な性格だった。今まではそんな性格でもたまたま上手くやってこられたけど、きっと今になってそのツケが回ってきたんだ」

 そんな考えに支配されて、夜眠ることができなくなり、昼夜逆転の生活を送るようになりました。夜中にひとりで起きていると、いやな考えが頭をつきまとって離れないので、ずっとラジオをつけていました。だけど明け方になるとラジオの放送も終わってしまって、どうしようもない孤独と不安が押し寄せてきました。朝が来るのを必死で待っているその時間が、一番辛かったです。

 時々、友達が手紙を書いて来てくれることもありました。友達の手紙は、充実感と明るさと楽観に溢れていました。それを読んでいると、この子たちに私の今の状態を話しても理解なんかできるわけがないという気持ちになりました。この間までは笑って話をしていた友達なのに、なんだか自分とは違う世界の人のように感じました。その頃の私は本当に元気だった頃とは、まったく性格や考え方が変わってしまっていたのです。自分の顔や外見がとても醜く見えて、過度なダイエットに走るようになりました。また、人に会うのが怖くなって外出するのも億劫になり、部屋に閉じこもる日々が続きました。

 そんな状態の私に、母は本当によく付き合ってくれました。美談めいた言い方はしたくないのですが、私が立ち直れたのは母の力によるところがかなり大きかったと思います。子どもが突然不登校になって、パニックにならない親はいないと思うのですが、母は私に対してはそれを極力表さず、聞き役に徹し、私を理解しようとしてくれました。叱咤することも、「頑張れ」と言うこともなく、ただ私の言葉に共感し、時には涙を流して聞いてくれた母にとても感謝しています。「学校に行かなくちゃいけないのに行けない」といって、私が泣いていた時に、母が言ってくれた言葉が忘れられません。

 「あなたは今、心が骨折しているようなものなんだよ。骨折した人が、元気な人と並んで走ろうとしたら、もっと悪くなるし、周りの人はみんな止めるでしょう?あなたの心も今それと同じなんだよ。だから今はとにかく休みなさい。学校のことは、元気になってから考えればいいでしょう」
 このひと言で、ずいぶん気が楽になった気がします。それまでひたすら自分を責めつづけていたのが、この言葉のおかげで、初めて休んでいいのだと思えるようになりました。
(次号後編へつづく)

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【2005年5月21日号】

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