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私の体験談「子どもの心を考える」
不登校を越えて 後編
〜心が骨折していたあの頃…〜
寄稿−大学生・kさん

前編のあらすじ 中学校の時に転校した学校に馴染めず、「明るい子」として無理をしているうちに家族間での問題もあってやがて不登校、ひきこもりに。自己嫌悪に悩む中、「あなたは今、心が骨折しているようなもの。骨折した人が、元気な人と並んで走ろうとしたら、もっと悪くなる」という母親からの一言が心に染みた…)


 それからは、少しずつですが、家で過ごす時間を楽しめるようになりました。小学生の頃からの趣味だったお菓子作りに打ち込むようになったり、図書館に出かけるようになったりして、だんだんと元気を取り戻していきました。そんなふうにして、学校に行かなくなってから1年半ほど過ぎた頃、私に転機が訪れました。近所にあるサポート校(※文科省が認めた正規の高等学校ではないが、不登校の生徒の受け入れを積極的に行っている学校)に入学したのです。再び学校に通うということは、当時の私にとっては大きなチャレンジでした。いくら元気になってきたとは言っても、まだ学校に対する恐怖や不安が強かったのです。それでも、何か変わりたい、今の状況から抜け出したいという一心で、入学式を迎えました。

 幸運なことに、その学校はとても私に合っていました。初めて教室に入ったときは、不安と緊張でガチガチになっていたのですが、ふと周りを見まわすと、クラスにいる子たちはみんな、私と同じくらい、もしかしたら私以上に、緊張して体を強張らせていました。その時、「ここには私と同じような子たちがたくさん居るんだ」と感じて、妙に安心したのを覚えています。実際、いじめや陰口、仲間外れなどとは無縁のクラスでした。

 先生方もとても優しく、こちらを気遣ってくれていました。入学して間もない頃は、まだ体力がついていかず、学校を休みがちだったのですが、先生方はまったく叱ったりせず、逆に、学校に行くと「よく来たね」といって迎えてくれて、非常にほっとさせられました。こういう環境だったので、私は拍子抜けするほどすんなりと学校生活に馴染むことができました。「学校に行くことができる」「友達と話すことができる」「勉強についていくことができる」こうした「できる」が一つずつ積み重なって、無くしていた自信も少しずつ戻ってきました。2年生になる頃には、仲間と冗談を言い合って大笑いしたり、学校帰りに寄り道をして帰ったりするようにまでなりました。不登校だった時には、もう自分には一生そうした経験はできないかもしれないと思っていたので、ごく普通の学校生活が送れることが、涙が出るほど嬉しかったです。不登校の状態を骨折にたとえるとするなら、高校の3年間は私にとって、再び歩けるようになるためのリハビリの期間だったのだと思います。

 現在、私は都内の大学に通う4年生です。まったく周囲と変わらない、普通の生活を送っています。たまに、自分でも不登校だったことを忘れそうになります。たくさんの人と接する機会があったおかげで、心身ともにタフになったのだと思います。もちろん、すぐにくよくよ悩んだり、物事に対する見方が悲観的だったり、初対面の人と話すのは苦手だったり、昔からあまり成長していないところもあります。そういうところは困ったものだとよく思いますが、基本的にはとても幸せな毎日です。

 大学では、ごく親しい友人以外は私が不登校だったことを知りません。あまり色々な人に過去を話すのは、同情を引くような感じがして嫌なのです。だけど、だからといって不登校だったことを恥じているわけではありません。むしろ、今になって振り返るとなかなか良い経験でした。例えば、不登校になって家に居る間、私はずっと、それまでの自分の生き方を思い返して、徹底的に批判し、反省していました。その当時はものすごく辛かったですが、14歳にして自分の人生を立ち止まって振り返る機会など普通はなかなかないと思います。恥ずかしながら、不登校になる前はかなりいい加減な性格でした。学校で宿題を出されても忘れることがしょっちゅうだったし、先生に反抗してばかりだったし、勉強が面白いなんて一度も思ったことがありませんでした。たぶん不登校にならなかったら、そういういい加減な性格のまま今の歳まで来てしまっていたでしょう。そう考えると、自分を見つめる機会が得られて本当に良かったと思うのです。

 このように、今になって振り返ってみると、自分が不登校になったことには大きな意味が、それもポジティブな意味があったのだと思います(不登校だった当時は、そんなことは思いもしなかったのですが)。不登校になったから、今の私が在るのだといっても過言ではありません。私は神様を信じているわけではありませんが、それでも、不登校になってから現在までの流れを思い返してみると、何か人間の力を超えた大きな力が、始めからすべてを上手くいくように用意していて、その道に沿うように私を引っ張っていたのではないかと錯覚してしまうほどです。

 だから、今現在不登校になっている人や、その周囲の人たちは、「不登校になってしまったからもうダメだ」とか「何が何でも学校に行かなくてはいけない」とは思わずに、「今こういう状態でいることは、自分にとって何か意味があることなんだ」と信じて欲しいです。そして、焦らずに、不登校を楽しむくらいの気持ちで、エネルギーが回復するのを待っていて欲しいと思います。
〈了〉

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【2005年6月11日号】

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