連載

スマホ時代到来(22) 〜今、大人が知っておきたいこと〜兵庫県立大学 准教授 竹内和雄

子供たちが本気になるには

スマホの良しあし
スマホについて議論
本気で議論する子供たち
(写真は本文と関係ありません)

私は、2007年頃から子供たち自身が自分たちの問題について考え、対策することを支援してきたので、そのような会の指導助言を任されることが多い。先日も中学生が集まってスマホ問題を議論する場に呼ばれた。

会場は市議会議場で、傍聴席には市会議員等、市の偉い方々が多数集まっている。市教委の力の入れようが分かる。始まると各学校の生徒会執行部諸君の発言は素晴らしいが、中学生の表情は堅く、暗く、白けているようにも見えた。

中学生に何が?

不思議に思って見ていると、多くの中学生が下を向いて、他の人の発言中もぶつぶつ、つぶやいている。よく見ると、彼らは、紙に書いてある発言内容を間違えないように暗記して発言しようとしていたのだ。つまり、議論のように見えたが、シナリオが決まっていたのだ。

よくできている。発言が特定の学校に偏らないように分散されていて、発言も多少、議論するようになっていて、知らずに見ると、中学生が議論しているように見えた。

40分程度のやりとりが続き、ある中学生が立ち上がり「○○市スマホ三か条」の策定を宣言した。議長(これも中学生)が「各学校でこの宣言に沿って活動して、次回にその成果を持ち寄ろう」と読み上げ終了した。

担当者の苦渋

講評をしなければならなかったので、さすがに迷った。中学生に罪はないので「各学校に持ち帰って自分の学校に合った活動をしましょう」と話したが、彼らの顔は曇ったままだった…。

終了後、市教委の担当者に真意を聞いてみた。

「中学生に任せたら何を言い出すか分からない。事前に彼らに十分に話し合わせて、当日は、その成果を発表するようにした。会場にはいろいろな方がいるので、間違った発言をしたら中学生自身にも迷惑がかかるので、苦渋の選択だった」

間違った発言とは

私は子供が自分の思っていることを話すことに間違いはないと考えている。

大人から見て「間違い」を彼らがした場合こそ、まさに勝負だ。大人と子供のギャップにこそ、問題の本質がある。子供たちに時間を与えたら、そのギャップに気づき、必ず修正しようとする。このあたりが子供たちに任せる醍醐味だと思っている。

子供に議論させるには、まず大人が腹をくくる必要がある。試されているのは、私たち大人なのである。

【2015年4月6日】

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