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教育旅行

戦国史を身近に体感 関ケ原古戦場・中山道で教育旅行を

2023年11月24日

岐阜県は、斎藤道三や明智光秀が誕生し、織田信長が天下布武を掲げた場所。さらに天下分け目の関ケ原合戦(1600年)の中心舞台となるなど、まさに戦国を語るうえで欠かせないロケーション。NHK大河ドラマ『どうする家康』で改めて注目されるいま、西美濃・東美濃の戦国史と街道の歴史・文化を2日間で巡った。

1日目:小和田館長と巡る

決戦地=関ケ原合戦で、最も戦いの激しかった場所といわれる

決戦地=関ケ原合戦で、最も戦いの激しかった場所といわれる

1日目は、岐阜関ケ原古戦場記念館館長の小和田哲男氏が関ケ原古戦場を案内。『どうする家康』の時代考証を担当する小和田氏が、直接現地で解説した。

関ケ原古戦場には主な陣跡や決戦地など、関ケ原の戦いにまつわる27の史跡があり、田園や民家の中に423年前と変わらない地形が残る。「大谷吉継陣跡・墓」「岡山烽火(のろし)場 黒田長政・竹中重門陣跡」「笹尾山 石田三成陣跡」「徳川家康最後陣地」「決戦地」などを巡った。

大谷吉継は石田三成が率いる西軍に参戦した武将。小早川秀秋の寝返りを予想し、早くから陣を構え、戦に備えた。小和田氏は「吉継は、三成に家康と戦わないほうがよいと助言していた人物。三成との友情を貫き、難病を押して参戦したことから今も人気が高い。彼の墓には花が絶えない」と語る。関ケ原では珍しい山中の土塁も紹介し、吉継が準備したものという。

三成が陣を敷いたのは北にある笹尾山。関ケ原全体の見晴らしがよく、敵の動きをすばやく察知できる位置にある。笹尾山の麓は、西軍の島左近の陣が守った。

合戦で石田陣営が乱れる原因になったのが、黒田長政軍の横からの鉄砲による攻撃。長政は家康から合戦の功労者とされており、それを支えたのが竹中重門だった。

小和田氏によると「重門は当時の関ケ原の領主で、地域の地形を知り尽くす人物。島左近に気づかれずに石田軍へ攻撃する抜け道を長政に教えた。この重門と長政の関係は、長政が幼少期に人質だったとき、重門の父・竹中半兵衛に命を助けられたことがきっかけ」という。

家康側の東軍にも三成側の西軍にも、人と人の絆があったことがしのばれる。

▼結果は変わったか?
桃配山=徳川家康最初の陣所の石碑が建つ

桃配山=徳川家康最初の陣所の石碑が建つ

家康の最後陣地は記念館の隣にある。合戦当日の午前11時頃に家康が最初の陣所とした桃配山から移動し、笹尾山の三成本陣までわずか数百メートルの位置で全軍の指揮にあたった。合戦後、論功行賞のための首実検も行われた。

小和田氏は「家康は祟りを恐れていた。首実検の後は重門に命じて、丁寧に死者を弔った」と解説。合戦の勝敗については「長政のはたらきにより小早川が寝返ったこと、毛利が動かなかったことが原因といわれる。しかし三成があと23日持ちこたえられれば、大津城の戦いを終えた立花宗茂などの西軍の武将が関ケ原に集まり、結果はわからなかったのではないか」。天下分け目の合戦は、人間関係や時間など、それぞれは小さな要因が、勝負に影響を与えたのかもしれない。

▼体感できるコース

岐阜県は、関ケ原古戦場巡りのために、ウォーキングやレンタサイクル用のモデルコースを多数用意。修学旅行や遠足、社会科見学等で活用しやすい。実際に歴史の舞台に行くことで、関ケ原の広さ・高低差、敵陣との距離感などが体感できる。「関ケ原七武将」(徳川家康・石田三成・大谷吉継・黒田長政・福島正則・小早川秀秋・島津義弘)のコースも設定され、各武将の物語に思いをはせながら史跡を巡ることができる。

▼熱中する記念館
【岐阜関ケ原古戦場記念館】

岐阜関ケ原古戦場記念館

博物館5Fからの古戦場のながめ

博物館5Fからの古戦場のながめ

岐阜関ケ原古戦場記念館は、戦国時代を楽しく学び、体験できる施設。入館したらまず1階にある「グラウンド・ビジョン」へ。床面スクリーンで、合戦に至るまでの全国規模の経緯が俯瞰して理解できる。

次に1階の「シアター」で迫力ある映像を。オーバル(楕円)型スクリーンに映像が映し出され、光と音、風や座席の振動などの演出が加わると、実際に合戦で激突しているようだ。各陣の動きや規模を空から見ているような映像もあり、遠近の視点を効果的に混合。大人も子供も没頭できる。

2階にある体験コーナーでは、武器に触れたり、兜や陣羽織を着て写真撮影をしたりできる。クイズやVRなども楽しめ、ちょうどこの日に来場していた小学生たちが歓声をあげていた。

5階の展望室では360度全面ガラス張りから古戦場全体を一望できる。足元の地図には合戦布陣図が示され、当時と現在の心象が重なる。このまま古戦場巡りに出かけたくなるだろう。

【岐阜関ケ原古戦場記念館】
  • 〒503―1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894―55
  • 電話0584―47―6070
  • 開館時間9:30~17:00(入館16:30まで)
  • 休館日=毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12/29~1/3
  • https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp
  • 20人以上団体料金=高校生540円(企画展開催時)、240円(通常時)、中学生以下無料

 

2日目:中山道を探索

風情がある馬籠宿の石畳の坂道

風情がある馬籠宿の石畳の坂道

苗木城の大矢倉跡の美しい石垣

苗木城の大矢倉跡の美しい石垣

2日目は中山道沿いの馬籠宿・落合宿や苗木城など、東美濃の見どころを訪ねた。中山道は江戸時代の五街道の一つで、当時は「中仙道」と記銘された。69の宿があり全長約532キロメートル。その4分の1が岐阜県にある。美濃の入口として栄えた馬籠宿は江戸から43宿目の宿場。美しい坂道に当時の町並みと風情が残り、外国人観光客が殺到する人気観光地。明治・大正の度重なる大火で江戸時代の建物が焼失し、住民が一丸となって町並みを再現したという歴史がある。

島崎藤村の生誕地としても知られ、生家には藤村記念館が建ち、直筆原稿や資料約6000点が所蔵・展示されている。また見晴台からの絶景、郷土食の五平餅の食べ歩きなどを楽しめる。

落合宿は江戸から44宿目。中央部にある本陣は公家や大名などが宿泊した場所で、門・建物などがすべて当時のまま残り、中山道全体を通じても極めて珍しい国指定史跡。

宿泊時に襲われても逃げられるように障子で隠した欄間や、警護者が天井裏に出入りするための「しのび武士の穴」などが興味深い。

馬籠宿と落合宿の間には国指定史跡「落合の石畳」がある。昔の石畳を部分的に残しながら約840メートルにわたり復元され、空気の澄んだ森林の美濃路を散策できる。

山城人気ナンバー1といわれる苗木城は木曽川右岸にそびえる山にあり、山頂の天守跡までの標高差は約170メートル。山の地形と巨岩を利用し、石垣や天守展望台、大矢倉などが建っている。展望台からは恵那山や木曽川などが見渡せ、迫力ある景観に出会える。この唯一無二の苗木城は、織田氏・武田氏と親戚関係を結ぶなどして勢力を広げた遠山氏の居城であった。

教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2023年11月20日号掲載

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