17歳から86歳まで年齢層も多様な定時制科学部の生徒たちによる研究発表が学会で優秀賞を獲得。その研究成果が研究者に注目され、火星衛星探査機「しののめ」研究開発チームの一員に加わる--先般、NHKでドラマ化された「宙わたる教室」の内容だ。
この原作は直木賞作家である伊与原新氏の『宙わたる教室』で、本作モデルとなったのが、久好圭治氏・大阪大学大学院理学研究科・元特任研究員を中心とする科学部顧問団(谷口真基氏・江菅純一氏)が率いる定時制科学部である。
久好氏は「小説になると聞き、ドラマ化されるまであっという間の出来事だった」と語る(公社・日本理科教育振興協会総会・基調講演より)。
久好圭治氏・大阪府立今宮工科高等学校定時制の課程講師
久好氏は、大阪府全日制高校の理科教諭として20年間勤務後、鳴門教育大学大学院で惑星科学を学び、2000年から大阪大学大学院理学研究科で研究を始め、2009年から特任研究員として、主に微小重力を用いる研究を続けながら大阪府立春日丘高校定時制などに勤務。
そこに通う60代の生徒の「せっかく高校生になったのだから部活動を行いたい」という声に応える形で2010年、微小重力実験をめざす科学同好会を設置。2011年度より科学部に昇格した。
同年、中高生の科学部活動振興事業(JST)にも採択され、質のよい微小重力を教室の中にいかに作るかをテーマに研究。これらの成果を同年日本地球惑星科学連合大会高校生ポスター発表の部で発表したところ、優秀賞を受賞。
東京大学の橘省吾教授(当時は助教)の目にとまり「はやぶさ2」のサンプラーホーン開発の実験装置としてアイデアが採用された。橘氏による学会発表「はやぶさ2サンプラーホーンを用いた小惑星表面試料採取に向けた基礎実験」(2011日本惑星科学会)において「春日丘高校定時制科学部」も名を連ねることになり、生徒の気持ちに火がついた。
その後、部員たちは新たな課題を見つける度に装置を改善。アトウッドの滑車を用いた重力可変装置や弱磁性磁化率測定装置などを手作りして月の重力や火星の重力を作った。いずれも0・3~0・6秒間だ。
このわずかな時間に何ができるのか、と思うかもしれないが、実験は十分にできる。
クレータ形成と重力の関係について調査したNASAとJAXAの数値が異なることから、それを結論づける実験をしたり、火星で水が流れたというNASAの発表から、どんな水がどのように流れるのかを見たいと考えて実験装置を制作したりと、試行錯誤。
2013・18年の日本地球惑星科学連合大会や物理学会Jr.セッション2014・23年で最優秀賞を、2020年には高校生・高専生が参加する「科学技術チャレンジ(JSEC)」で、3校合同(※)の研究が文部科学大臣賞を受賞。世界大会(JSEF)にも出場した。
※今宮工科高等学校(定)科学部、大手前高等学校(定)科学部、春日丘高等学校(定)科学部
『宙わたる教室』 伊与原新/著 文藝春秋
直木賞作家である伊与原新氏に声をかけられたのが日本地球惑星科学連合2023年大会である。「定時制の科学部を小説にしている。今年の10月には発刊予定である」と声をかけられて仰天した。
その経緯を聞くと、栗田敬・東京大学名誉教授(当時は地震研教授)が「2017年大会のポスター発表に定時制高校から面白い内容があった。重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する内容だった」と伊与原氏に伝えたことが、本小説誕生のきっかけであったという。
大阪の定時制高校への取材はほぼなしで小説『宙わたる教室』が完成。2024青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部の課題図書にも指定され、同年10月にはNHKでドラマ化。
ドラマ化の際は、担当プロデューサーや脚本家から詳細なインタビューを受け、久好氏らが日常的に高校生に声かけしている言葉や思いが多く盛り込まれたという。
ドラマで教員役の窪田正孝さんが失敗を恐れる生徒に「失敗なんてありえないですよ。(理由は)まだ誰もやったことがないからです」と告げている。現在も久好氏らが生徒に繰り返し伝えている言葉だ。
定時制課程には多様な生徒が集まる。自己肯定感が低く失敗を恐れる生徒が比較的多い。
しかし科学部の活動目標は「未解決の問題に取り組む」「実験装置・実験方法を自ら考える」「チームをつくる」「研究成果を発表する」こと。
もともと未解決なのであるから、失敗は存在しない。
自分たちで考えて作った実験装置なので、うまくいかなければ修正点をみんなで検討し、壊れればすぐに作り直せる。自ら試行錯誤した研究のため、自分の言葉で発表することもできるようになる。
また、ドラマでは(この実験は)「何の役に立つのか」という問いに「わかりません。でもいつか何かの役に立つかもしれない」と答えていた。これもよく聞かれる質問であるそうで、生徒たちは「100年後に役に立つ」と答えている。
電気は、マクスウェルの方程式ができてから100年を経て実用化した。スマートフォンの位置情報取得もアインシュタインの相対性理論が元になっている。
どちらも、何かに役立つかどうかではなく、自然現象の解明が面白い、という好奇心が出発点だ。
定時制の科学部には、ストレッチャー上でまばたきの動きのみで意志を伝える生徒、吃音のある生徒、起立性調節障害や文字がうまく書けない生徒、不登校経験のある生徒と様々な生徒が所属している。
しかし「科学が好き」という出発点があれば、わからないことをわからないと伝えることができる、安心できる関係を構築することができる。それが学びの入り口であり一番大事なことは「本気で科学をすること」と伝えている。
結果が見えている実験を繰り返しても新しいものは生まれない。
「正解を解く」「問題を解く」ための科学ではなく、本質を理解する科学に取り組みたい。これは科学に限らずすべての学習においても同様。想定外の結果が出てからが本番であり、教員の出番であると考えている。
現在、大阪府立今宮工科高等学校定時制の課程では年間10回、土曜学習会「地球・宇宙・生命を考える」を行っており、生徒と共に教員も学んでいる。定時制科学部の挑戦はまだまだ終わらない。
教育家庭新聞 教育マルチメディア 2025年6月16日号