「中核的な概念」の浸透に期待している。
中核的な概念とは、次期学習指導要領の検討のなかで出てきたもの。学習指導要領をデジタル化して使いやすくし、かつ学びの目的を見通しやすくするためにシンプルにして授業内容を検討しやすくする、それにより「教科書を教える」のではなく、中核的な概念につながるそれぞれの学習内容を「教科書で教える」ようにする。
そのために各教科等の中核的な概念・方略の整理・構造化について具体的に検討を進めようという文脈だ(文科省資料「学習指導要領の構造化を進めるに当たっての諸論点」2025/4/25)。
中核的な概念をすべての教員、すべての大人が理解すれば、例えば「なぜ公式があるのか」「なぜ分数を学ぶ必要があるのか」「なぜ漢字を学ぶのか」などの子供の素朴な疑問に大人が明快に回答できるようになるのではないか。そうなれば、何のために学んでいるか、そのために身につけるべきものは何かを子供自身が理解しやすくなり、学びに向かう力は自然に高まるだろう。
中核的な概念はシンプルであるほどよいと思う。
既に各教科等WGでは検討が始まっている。例えば体育科・保健体育科WGでは中核的な概念について「心と体を一体として捉え、生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力」「生涯を通じて自らの健康や環境を適切に管理し、改善していく資質・能力」が案とされているようだ。これをさらにシンプルにして「生涯にわたり健康な心身を保つ」としてはどうだろう。
例えば中核的な概念を踏まえたマット運動とは何か。
自身が小学生当時、マット運動の意味をまったく理解していなかったが「効率的に意図した動きができる」「生涯にわたり健康を保つ」ための身体のコントロール方法を知ることだろうか。
若い頃から活躍しているアスリートも年齢とともに故障が増えがちで残念に思っている。しかし身体のコントロールを意識することで、例えば速い球を投げる、高く跳ぶなど個別の運動能力を高めることに加えて、故障しにくい身体の使い方や酷使した場合の修復方法を考えるようになり、故障も減るのではないか。アスリート生命を伸ばすことについて探究することも考えられる。
また、年齢を重ねるほど身体は硬くなり痛みも生じるが、適切な対処があることを知る、という経験があれば、自らコントロール・緩和することも可能だろう。健康年齢を伸ばすことにもつながりそうだ。
そう考えるとマット運動の評価基準も変わってきそうだ。スポーツライフ(観戦も含め)も「生涯にわたり健康な心身を保つ」を実現するための選択肢の一つで良いのではないか。
身体と心の関係についても考えることができればなおよい。メンタルの問題から生じる身体の不具合も身体的なアプローチで軽減する場合があると感じているからだ。
健康教育につながるさまざまな〇〇教育(がん教育、くすり教育、傷の手当、アレルギー反応の恐ろしさや強烈な悪影響を及ぼす化学物質など内容は多岐にわたる)も、健康的に日々を積み重ねるための知識や知恵、成果の一部を知る機会であると理解できれば、将来、自らそういった情報にアプローチすることもできるだろう。やみくもに医者に訪れる機会も減り、医療機関の負担減につながるかもしれない。
AI時代の今、身体性を伴う理解や体験が重視されているが、 健康は「身体性を発揮するための土台」であり、かつ自身の身体に敏感であることが健康にもつながるという往還の関係でもある。
保健体育の「保健」分野は、今後より一層重視されるべきであると考えている。
例えば感想文はなぜ書くのか。漢字の書き取りをなぜ行うのか。
自分の考えをわかりやすく正確に、円滑に伝えることや他の人の考えや意見を正確に理解することを本来の目的=中核的な概念と考えるとすれば、デジタル社会が浸透した今、これまで当たり前とされてきた学習内容も変わる可能性が生じる、という点も理解しやすくなる。
「この学習がなくなった、だから学力が低下した」などの単純な分析にはならないはずだ。
関数はもともと何を知るために生まれたものなのか。公式を覚えるにとどまるよりも、もともとの出自を知るほうが楽しいと思う。
デジタル学習基盤を前提として改めて中核的な概念を示すことが成功すれば、すべての人が「読みたい」と思う学習指導要領になるのではないかと期待している。
教育家庭新聞 教育マルチメディア 2026年1月1日号掲載