井谷惠子、井谷聡子、関めぐみ、三上純/著
大修館書店
四六判 288頁
2420円
「運動が苦手な人が『体育嫌い』になるのは、当たり前」「体育の目的は『うまくなること』だけだから、できない自分は成績が悪くてもしかたない」「教員の教え方が悪い」等、体育嫌いは個人の問題と考える人は多いが、それは本当に「当たり前」で「しかたない」ことなのか。個人のせいではないとしたら、何が原因なのか。
「体育嫌い」当事者たちから、どんな体験をし、つらいと感じ、困難があったのか丁寧に聞き取ると「体育はほかの教科よりもできる、できないが見えてしまう」「楽しくチームスポーツしたいけど、失敗した時のみんなからの視線が怖い」などの声が聞こえてきた。「体育嫌い」の原因を、体育という教科そのものと、それを作り出す社会構造にあることをジェンダー・セクシュアリティの視点から解き明かす。スポーツにおける性別の「当たり前」や、「競技スポーツ志向の根強さ」などの観点から考える。
「体育嫌い」を排除せず、すべての人に開かれた体育を実現することを目指す一冊。
教育家庭新聞 教育マルチメディア 2025年4月21日号掲載