2011年3月11日に東北地方太平洋沖で起きた地震により甚大な被害となった東日本大震災から15年過ぎたが、被災地の復興に向けての取り組みは今も続いている。
東日本大震災以降も日本各地で災害が起きており、そのたび尊い命が失われている。2024年1月1日に起きた能登半島地震は記憶に新しいところだ。災害を未然に防ぐことは不可能だが、平時から備えや対策が行われていれば被害の軽減や犠牲者を減らすことは可能である。そのために必要な取り組みの1つが防災教育の充実だ。
特に東日本大震災の教訓から、防災教育の充実が叫ばれるようになった。岩手県釜石市では約1300人もの人が犠牲になった。大槌湾に面した鵜住居地区も津波の襲来で壊滅的な状態となる。しかし、この地区にあった鵜住居小学校と釜石東中学校に通う児童・生徒約570人は、全員無事に避難することができた。当時この避難行動は、「釜石の奇跡」と称されたが、最近では「釜石の出来事」といわれている。
では児童・生徒は、どのようにして無事に避難することができたのか。
鵜住居小学校では地震直後、まず校舎3階に児童が集まった。ところが3階に集まり始めた頃、隣の釜石東中学校では生徒が校庭に駆け出していた。これを見た鵜住居小学校の児童は、日頃から釜石東中学校と行っていた合同訓練を思い出し、自らの判断で校庭に駆け出していく。
その後、児童・生徒は約500メートル先の高台にあるグループホーム「ございしょの里」まで避難したが、建物の裏の崖が崩れるのを見た生徒が教師にもっと高いところに避難しようと伝え、さらに高台の介護福祉施設「やまざき機能訓練デイサービスセンター」まで避難する。
その後、津波が堤防を越えたという消防団員や地域の人の声に反応し、児童・生徒はさらに高台にある石材店まで駆け上る。この後、鵜住居地区は津波にのまれるも、児童・生徒は全員、無事に避難することができた。
「釜石の出来事」は子供たちが単に運が良かったわけではない。この地域で普段から教えられていた行動を当たり前に実践した結果によるものだ。
子供たちは、自らの手で登下校時の避難計画を立て、津波の脅威を学ぶため群馬大学の片田敏孝教授(現・東京大学大学院特任教授)から年間を通じて防災授業を受けていた。片田教授の指導による「①想定にとらわれない、②状況下において最善をつくす、③率先避難者になる」という「避難三原則」を、子供たちは徹底して身につけていたのである。
「釜石の出来事」は、「行動につながる防災知識(訓練)の習得」があったからこそ、可能だったのだ。
教育家庭新聞 教育マルチメディア 2026年5月25日号掲載